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のんびりPC(第2幕)

真実は自分だけが知っている

幻ビーカー破壊論3

(・・・以下は、いつだったかのブログです。下書き保存してました。夏かその前の。去年かな?)

 

生と死と理想しかないこの世の中においては、

理想は生の投影であり、すべてのユートピア思想が選民思想であることは、

すでにお話して削除した通りです。

 

単純に、比例直線的な発展の未来は、ナチスのようなものでしょう。かつて社会主義が唱えた未来だって、ことによるとそのようなものかも知れないし、歴史は半分ずつ繰り返すと言う弁証法も似たようなもの?

 

実際の社会は、カオスのように振舞うのじゃないかとか、全体を同時に眺めることが出来ないだとか、20世紀的な還元主義的科学の発想では、なかなか予測できないものでしょう。(いや、人口爆発とか考えると、指数関数的に成長するのが本当で、比例直線より凄いかもしれない。)

 

ムーアの法則とか、もう終わったみたいだけど、比例直線的だよなぁ、

 

チップと言う鏡の世界にユートピアを見たのかな?ディズニーのトロンみたいに。

 

と、書き綴っていたのだけど、なんだかおかしいわ。あり得るかな?ただの商品だし。素子の集積度に過ぎないから。ずっと続いたわけじゃないし。

 

(2016/12/10さて続きを書くぞ!以下に)。

 

それでですね。両義性の箱庭において我々は育つようになって以来、精神と自然の対立を考えるようになったと思います。なんとなく。

 

すると、神と言うもの、超自我、と言うものは何であるのか?

(おそらく、そんなもの無いでしょうね。)

 

成長期の刷り込みの内、成功体験に根ざすものが、半ば超自我的に、フラクタルな分身として投影されているに過ぎないのではないか?

 

そう考えると、それでも人間に社会性があるのなら、これは人間の自我意識がエピソード記憶意味記憶だと言う説がおかしいのじゃないか?そう私には思えてくる。

 

よく理解していないからかもしれないが、それでは、探索問題みたいなものだって、そうじゃないか。動物にあってもいいじゃない。としか思えなくなる。

 

知覚情報の神経の機能単位の内、その2次的3次的に投影された後の脳内オペレーティング・システムにおいて構造化したものが、抽象思考かも知れないと思う。

 

それは別にエピソード記憶だけじゃない。その脳内オペレーティング・システムもどんなインターフェイスで育つかで異なるはずだ。鉛筆を使うかキーボードを使うかでもかなり異なる。そしてそれでも同じもの、そもそも肝心の部分は、やっぱり言語だろうと思う。

 

で、この言語は、単なる意味記憶でもなく、知覚情報の畳み込みの機能もあり、表象と併合されたりややこしい。また砂山的で、一意に定まらない。すぐ書き換えされるし。どうやら中枢神経系が常に現実と言語との対応を調整するかしないとならないくらい速い世界で、哲学に留まらない問題の様でもある。(それくらい、どこから疑ってかかれば良いのか理解するのが難しいくらい内部の設計上の問題に関わっていそうだと感じる。つまり、ファームウェアとか。)

 

また、そもそも文法機能とは何だろうか?鳥のさえずりの求愛行動などを頼りに妄想するしかないのだろうか?システムの作動の記述が本当に主語と述語の命題に相当するのなら、エピソードの細切れの単位が抽象化してる鏡の破片のような気もするし、何だかやっぱりものを知らなくてまだよく分からない。

 

こう考える私には、どうも秘密は、結局、一般的な言説の焼き直しだが、対話にあると思えるね。他人との会話。ミラーニューロンの読み物からも集団的な自我形成を行っている可能性があるのが我々みたいだし。たぶん、そう言う超自我的なものは他者性に関わっていて、そんな風に考えると、やっぱり恥の観念と罪の観念とがあると言うような文明論めいた話はまったく性に合わない。とかじゃなくて、やっぱり超自我は最初の人間集団である家族や教育機関の内、父親や教師などの投影と言うのは妥当だね。

 

しかし、それも言って見れば、成功体験に根ざした行動指針みたいなものなので、そう言うものを失った後の人間はどうするのだろうか?と考えた時、生物は最初の環境情報構造を踏襲する、と言うので良いのだろうか?

 

やっぱり、環境適応の方が大事なので、そんなものも割りと簡単に捨てるんじゃないか(超自我なんて無い説)?独りになれば思い返すだろうし、全脳検索だろうけど、その場で起こることとの併合でその時の着想は進むので、踏襲と言うような感じはあるけど、それは循環の言い換えだし、未解決問題が今あると言うだけかもしれないし、失った人への郷愁でもあるだろうし。

 

もし、成長過程に拉致と言うような疑いを挿んだ場合、その人は、必ず犯罪者になるだろうか?と言えば、なるとも言えるし、だからと言って、悪人になるかと言えば、それも互恵性程度のことでしかなくて、何だかすっきりしない、善悪で言えば灰色で、どちらかと言えば拉致の錯覚を与える時点で倫理的には悪なのだけど、長期にわたっての収支が生命の存続を可能にしてきたならば、うやむやになる程度のことなのか?どうも分からない。

 

が、しかし、そう言う人のその後の超自我と言うものは、もはや親や教師ではないはずだ。なかなか姿を現すことのない見えない敵であり、日常の中で突然起きる奇妙な事件に隠された超技術の存在可能性、みたいなことでしかない。

 

つまり、私の超自我は敵である。

 

こうなるとラカンで言う、父の機能の隠喩、としての幻聴とは、そう言う意味なのだ。もしかすると、拉致犯どもが、育てられなくなってその人生を疑って復讐して来る被害者に対して、超越的に圧力をかけることで治めようとする音声送信だと仮定した方がすっきりするのだ。

 

つまり、これは幻聴の主がロシアであれば、ロシアが敵だし、朝鮮カルトであれば、朝鮮カルトが敵だという単純な結論なのだ(別に抽象的にはアメリカでもあり得る)。

 

このように考えると、拉致犯こそは、メディアを介して、日本人には超自我が無いのか?とコンプレックス政策を強いてくるはずだ。

 

超自我と言うものは、圧倒的他者でもありえる時点で分かると思うが、戦争を肯定するなら、自分の所属集団のシンボルでもある。具象物でも抽象物でも良いが。

 

だから、幻聴によってモルモットになっているのだから、この幻聴勢力と戦うものが現われれば、それが新たな超自我になる計算だ(それこそは真にフランス革命的ではあるが、何とか犯罪NPOの狙いこそそれなのではないかと言う推理も可能であることを忘れていない:笑)。

 

 

まぁ、世の中は、理想どおりには行かなくて、薄汚れている。統治手法の一つとして、誰しも自分に非があれば相手の過ちを許すのだから、これを機能抽出して適用すれば、皆、軽度の犯罪者まがいになれば良い、となる。

 

こうして、愚衆政治と言うのは圧倒的支持があるのだろう。

 

このように考えると、幻聴が時に、私がポルノを見ている時、邪魔して叱り付けたり脅してきたりする声と、支持して妄想を実現させようとして来る囁きがあることに合点がいく。両義性を装ってはいるが、支持する声がある時点で、解決できない世界である証明なのだ。私の人生を早く決着つけようとしているか、薄汚れた世界でポルノぐらい許さないわけには行かないのと、両方のないまぜになった判断であることが予想される(時間的にどれくらい余裕があるかは、この際、度外視して)。

 

つまり、これは敵なのである。明らかに敵であり、敵の注ぐ酒を飲んで笑っているのが私である。この幻聴送信には、超音波タイプのように風のはためくタイプの音も起こるし、ブザー音もごく稀に混じる。左おでこの表面や前頭葉深部で聴こえたりして、側頭葉に起因するであろう寡黙な時のいつもの心の声とは限らない。明らかに物理現象と思えるのだ。

 

おそらく、スマホで言えば、シームレス通信になっていて、任意に切り替えている模様だ。

 

ともかくも、このcrazy timeにおいては、このようにビーカーは揺さぶられ、攪拌されると言うことなのだ。

 

いつか将来、私のような目にあった人が、事態を整理する参考になるだろうか?

(これは超自我であるが、インターネットに甘えている。)