のんびりPC(第2幕)

真実は自分だけが知っている

アンパンマン!新しいパンツよ!→よし!頑張るぞ!(あーんパンツ!)の可能性についての思索

原罪と言うコンセプトは一体何なのだろう?

 

生命が生まれながらにして罪を背負うのなら、仏教の業と変わらないのだから、スティグマであり、新聞でキリスト教的な価値観の流布は差別の元凶として自粛すべきである。

 

実際、仏教の”業”を嫌う社会保障制度や貧困研究の学者は存在する。歴史的に仏教が貧者に施しをしてきた例を鑑みることは、戦後にアメリカから平和憲法を授かって以降、福祉制度などが充実した日本でするべき話ではない、そもそもお話にならない、と言う姿勢の学者もいた。

 

まぁ、私は福祉に興味がないのでこれくらいにするが、ウィキペディアで原罪のページを読んでいると、なんだか罪に巻き込まれる社会的な状況をも含めた概念になっているようです。

 

しかし、それでも変だ。

 

私自身を思い返すと、小学生の時、下着泥棒をしたら、後ろめたくなってだんだん孤立した。丁度、オナニーの後の賢者モードとか2ちゃんねるで言ってる状態のすこし長過ぎる奴だな。その後にだったか、いつだったか正確に今思い出せないのだけど、テレビを見ていたら、『トンデラハウスの大冒険』と言うのがやっていたので、その影響で、もしかしたら雲の上に髭を生やしたおじいさんでもいるのかな、と思うようになった経緯がある。カクレソウレンだしな笑。そりゃぁ、救いようがない。

 

そしたら、そんなことを考えていた翌日などには、小学校で級友が、悪い奴ほど神を認めるんだよなぁ、なんて笑って話していたりして、心臓がバクバクした思い出はある。おそらく掘り下げれば、その時代から盗聴に類するものが横行していたのだろうと思う。我が家は、小学生の頃、何度か、「●●さん、お宅盗聴しているからね!」と親戚の家などにいたずら電話がかかったりしていたので、我が家も十分、可能性はあるんだよな。

 

まぁ、そんなわけで、対処しきれない状況で後ろめたい犯罪者まがいの奴が、原罪と言うコンセプトを認めるんだなぁ、と言う漠然とした思いは、小学生の頃からあります。

 

原罪は、犯罪者の言い逃れの世界か、さもなければ幼少期レイプされた女の世界だろうか?

 

そんな話する奴あんまり近寄るべきでないな、と言う感じですかねぇ。