のんびりPC(第2幕)

真実は自分だけが知っている

ばらばらの戦い2-1

(さて、非常に個人的で古い話をさせていただきますが、お付き合いください。)

 

私が美術をやめたくても、すでに選んだ道で止められなくて困っていた頃、周りに友達もいなかったので、小林健二氏の作品や本を読んで、はじめて、高校化学の大切さや、テクノロジー犯罪の萌芽のようなものがそこにあることに気が付き始めていた。

 

翻訳文化というものは大切なもので、私は、かつて何の説明もなく見た表現主義が理解できずに、ただの激しい絵としか思っていなかった時期がある。

 

絵の道には、良い導き手がいないと、参考例がすべて外国の作品中心になるので、ずっと格差を目の当たりにし続けるという不幸な境遇に陥りやすい。つまり、日本ならカルト教団などに振り回される可能性がある。

 

私は、小林健二氏の画集、AIONを買ってみて、はじめて表現主義的なストロークの作品に詩のようなタイトルをつけたものを見た。そこではじめて、あぁ、こういう感性に近いと思えば、あの表現主義の作品は、そういうことなのかも知れないな、と理解した。ヨーロッパ人の作品では、色彩が強すぎたりして、通常、思い浮かべるイメージがズレ過ぎているのだ。

 

例えば、同画集の中の1982(93)の作品など。これに類するもので、ほかのタイトルなど。([廃墟はいつも人がつくる、ここにはもう住めません]ttp://www.kenji-kobayashi.com/profile.html)

 

これを見るまでは、昔のドイツ表現主義の作品が自分の中で、何でこんなに下手くそなの?としか映らなかったのである。ちょっと曲折していて間の長い理解になるが、そう言うことである。こう言う小林健二氏の感性から読み解いて行って、詩と絵画が非常に近いことをまず理解した。そして厨房みたいな情動的で奔放な色彩が結びついて行くと、当時ならああだろうとか・・・。

 

林健二氏を認める発言をしていると、ヤジを飛ばされる日常にも疲れてきたが、酷いと白人にも横断歩道で、クソ、と言われた。マフィアだろうか?アメリカ人だと思うが、本当に殴れたら殴りたいものだ。

(ことは簡単なんだよ。蹴っ飛ばしてしまえばいいだけなんだから。)

 

そんなに言うなら、私だって、下着泥棒だったりした子供時代があるのだ。よくこの時期の小林健二氏の作品を見れば、ひし形が多いのに気が付く。これはよく考えると、おばさんの下着のステッチだ。女性下着にひし形の模様のステッチは伝統的に多くある。それで気になったのか?

 

また、棒状の形、塔などが多い。これもペニスの隠喩や換喩だろう。いや、私のpixivに上げた落書きにも偶然、それが入っているのがあるが、まぁ、かつてのニューペインティングみたいだしオッケーみたいな冗談である。(キュビズムなのに笑)

 

90年代の米国等のニューペインティングも、理解に苦しむ下手な絵が混じっているが、おそらく、これも日本のイラストレイターのヘタウマの流行を知らなければ、解釈に苦しんだだろうなぁ。池沼じゃねぇか。みたいにしか今でも思わないのがある。

 

私は、ずっと、テクノロジー犯罪に苦しめられてきたと自負しているし、NPOの人も認めないわけではなかったが、はて?なぜ、小林健二氏から知ったのだろう。

 

同氏の『ぼくらの鉱石ラジオ』と言う本に、まぁ、整理生理検波器が出てくるだけで、何の関係もないのだけど、例えばシリコーンと言うのはモノにより人体にとても近いし、トランジスタと言うのは、要するに人造鉱石なのだよ、と言う理解から、人体がシリコーンや鉱石のような半導体であるという理解、つまり量子力学的現象が起きていないわけないよな、と理解したのだ。トランジスタこそホール効果だの何だの言っているでしょう?

 

(まぁ、90年代は、あまり学生や一般人に情報が届かなかったね。がっかりだ。)

 

続く