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のんびりPC(第2幕)

真実は自分だけが知っている

幻ビーカー論

我々は、個という粒子でありながら、社会と言う波でもある。つまり、その現象の最中にあっては、いまだ時間の区切りが見えないことにおいて、世界は波のように現前するのだろう。

 

しかしながら、事態が過ぎ去って対象化されて時間の区切りが明らかとなり、ひとたび客体化されると、因果論的に説明可能な過去となる。

 

ここにおいて、その過去でもあるような対象は、一枚のノートとして、あるいはアイコンとして、物象化され得る。

 

そして、その時、世界はいまだ綴られるウィンドウの中の動的文書群なのである。

 

あるいは、実身仮身は、ファイル数制限(時間の区切り)があることにおいて成立する一つの思考世界である。

 

そもそもが、人間の思考の正体は、その有限性(時間の区切り)にある。例えば、宇宙が常に存在するとなれば、人類はともかくも思弁を積み重ねることが出来る。ここにおいては、宇宙の絶対性が、思考の有限性を保証する関係にあると認めることが出来ないだろうか?

 

(宇宙が絶対でないとなれば、相応に思考の正体も書き換えられねばならない。)

 

この時、宇宙の絶対性(波としての現前)は、思考の有限性(時間の区切り)でもありながら、同時に実身仮身のファイル数制限(時間の区切り)でもあり得るのだろう。

 

トーリーは全体と個を同期するかも知れないが、それはいまだ興奮さめやらぬ限りにおいて、とか、前後の見境が無い奴に限って、と言うことなのであって、常に読まれていること(波として現前すること)、が条件である(笑)。

 

それでは、どうして光子のスリット実験のような微細な世界においても、粒子と波動の二重性が実際に(物理的にも)観測されるのであろうか?個と社会の二重性においては、時間の区切りと言う我々の脳の認識の扉でしかなかったものが、いまや、それは現実の世界においても相似的に実在することが知られている。

 

これも不確定性原理として、位置と運動量の同時観測不可能性に代表される

認識の扉であって、郡司ペギオ幸雄の質料性のようなことに触れているに過ぎないのだろうか?

 

あるいは、観測者のパラドクスでも良いが、我々は光より速いものを測ることができないと言う事態において、光速度不変の絶対性(宇宙の絶対性だが、これはむしろ粒子論)に支えられているのである(すべては時間分解能のマジック!)。

 

我々は、複数の周期の複数の循環を合成し得た時、人格のステージが一つ上がるとしても、それは整理された過去においてである。いまだ興奮さめやらぬ限りにおいては、事態は継続し続け、循環の民主主義とでも言うべき事態が起こり、方々でざわめき立って、とりつく島が無い(つまり、波として現前する)。

 

私の思うに、自我の中心は、単純に体軸中心、顔や身体の向き、それらの運動の軌跡である(これは粒子的)。

 

(ここに哺乳類レベルのエピソード記憶の意味もあろう。)

 

そうすると、ある観念体系が自我意識の成分であるのなら、その時、ビーカーでもある器は、自我意識を強く規定しているはずだ。つまり、よりハードウェアに近いところに自我中心はあると、ひとまず考え得る。

 

多重人格のような人格のコントロール権の喪失は、仮に運動機能や三半規管の重力検知にも関係しているとすれば、これは水槽の中の脳のような事態となってあり得ない?とすれば、成長期の各段階においての時間の区切りがあって、その循環周期の合成失敗であるか、はたまた、一対多のミラーニューロン的な・・・対象化されたいまだ解消し得ないトラウマのポールが複数あるのであろうか?

 

(とすれば、その所在は前頭葉や運動野になる?こう言って良ければ、誰かが横で話していたミラー将棋だとかコラム反人格なのか?であれば、側頭葉もか?はたまた身体的コンプレックスや病気の痛みなどであれば、やはり身体システムとの連動においてカオス発振的事態か?)

 

その症状の真相はさておき、たとえば絵画は、言ってみれば、ビーカーの破壊、内容物の無制限な拡大でもある。ビーカーと言う入れ物に拠らない観念体系の組織化である。

 

よって常に物質現象に投影された形で発想がある。そこは、絵画平面と言う奥行きの無い世界に、奥行きのイリュージョンを見立てる世界である分、認知的不協和の遊びを含む。よって観念レベルでも、残虐で不気味なものと可愛らしい花とを並べて描いたりするような発想に転じやすい。

 

もしかしたら、矛盾律の衝突で外界を考察する人類古来の発想(ちょっとの毒は薬、白は中和、赤は良薬、藍はスーパーポイズン?)は、西洋人の頭の中において、芸術とともに、特に絵画などによって、弁証法に発展した可能性はあり得る(ネガティヴ、ポジティヴ、マグネティヴ:笑)。

 

認知的不協和のより組織化し、体系化したものが、内的自己と外的自己であるとすると、ある妄想的自己の胚胎は、その観念に強く接近した近傍群のトラウマなどに起因する。そうした個別の自我成分も結局は、内的自己や外的自己の集合に併合されたり混和するのなら、その振り分けにおいて、どちらかに四捨五入されると言ったようなイベントやアクシデントがあるだろうか?

 

自我中心がビーカーであるのなら、身体を一枚の皮として見た場合、その社会的な表側と個人の世界や内部世界としての裏側、ここに本音と建前の由来があり得るのは自明の理である。それが時間方向に展開して、イベントやアクシデントの以前と以後に対応して、ホメオスタシスの崩れなどが持続する限りにおいて、内的自己と外的自己に分裂し得る可能性があると考えるのは、普通のことである。

 

(この場合、本音だとか、内的自己だとかは、表皮ではなく、内部の欲望や身体的ストレス、テクノロジー犯罪に起因していると疑う余地は十分にあるのだから、つまり、残念ながら社会性はより低いかも知れないと言うことである。)

 

 こうして、イベントやアクシデントの以前と以後に対応した社会との関係性において、精神病があり、編集した時点での自我成分と言う意味で、思考の有限性(粒子性)がある。

 

(よって逆説的に、精神分析やカウンセリングは、粒子的解決策であって、非常に因果論的であるから、関係と関係の網の目である様なーつまりは、波のように不可分性が特徴のー社会的事象に対処することは、そもそも不可能な発想であるとの強弁も成り立つ。)

 

 我々は、こうして、何らかの達成感や挫折感を得たとき、それを糧とし、再び現実の荒波に戻っていくのであろう(なぜなら我々の思考は未来と量子エンタングルメントを起こすから?)。

 

 しかし、運動機能や三半規管の重力検知という意味での循環もまた、我々の思考を揺さぶる成分なのであり、自己の一端である。自我意識だとか記述的自己記憶といった大脳思考の時間の流れとは異なる意味での・・・現象に身を投じ、対象と一体化するような・・・身体的で付帯情報に環境情報がたぶんに含まれるような感情的価値を伴う記憶傾向の・・・ある種のシャーマニズム的な律動性であると思う(もちろん、ここにおいても量子効果は発見できるであろう。特にシューマン定常波やその他岩盤エネルギーの放射等の影響、準静電界のオーラ通信、場のエネルギーにおいて人格交代する)。

 

また、我々は、解決し得ない過去を引きずる時、それは波の真っ只中なのであり、波の中を彷徨う苦痛に喘いでいるのである。すべての精神病の苦痛こそは、抜けることの出来ない長期の荒波に起因すると考えている今日この頃である。

 

 ※宇宙の絶対性というのは、分かっているかと思いますが、絶対静止したニュートン力学の空間のことではありません。単に人間にとっては、幼少期より誰しも、世界が分からないことに対する恐怖、みたいなものが根源的に心の内にありますが、そう言う圧倒的存在程度の意味です。厳密な物理学や哲学の言葉じゃないです。宇宙はそのように絶対的不可知だという程度の意味。みなしで絶対的な値になり得るような差があるでしょう。

 

追記:

奴が過労死したのは遺伝病のせいなのか?
お前が残業予定を伝えないからだ!
切れ間の無い拘束、そして自立意思を認めない世界・・・。

(君にとって●タミとオウムは似ているか?)


集団ストーカ、そして精神科医も、切れ間の無い人格否定とブロッキング

 

そして考えるのが億劫になる神経遮断薬。

 

決して抜けることの出来ない波間に溺れて君の人生は孤独に終わるだけ?

(君にとって東京は、カルト教団と同義語なのか?)


そうだと言ってやれば楽になるよ!!!

・・・ネットでポルノを見ると、パトカーを見る頻度が上がり、ヘリコプターや戦闘機がよく上空を通過する。

 

ドローンだろうか?警察の?自衛隊の?はたまた米軍の?

(いや、全部だから!!!)


冗談じゃなく、一から文明を創りなおしたい!!!

もう、現代の統治技術は、市民に背き過ぎている。

(人権思想に背くことをしているから。)

原始共同体は、身分制だが、終身雇用のはず。

競争原理を持ち出す時点で詐欺!!!

(停戦協定反故からやり直し!!!)

 

40代の内に他県へ引っ越したいなぁ(遠い目)。

 (地球人口を20億にまで減らすべきだとは、まだ考えていない。)

 

おい、拉致かよ、と思って40年弱、いつしか親の期待も背負って生きていたのに、変態だからお前の話は聴かない路線で固められている。波間は切れない。もう、治療を受ける意味も、東京で働く意味も見出せないね。戦うのみだ。

 

(いつまでお待ちになられても、こちらから、要求を撤回すると言うことはないのです。人権思想に反しているから。文明の再興を促すレベル!!!)

 

※欧米の政治家は、皆、ショットグラスを暖炉に投げ込んで割る奴にしか見えない:笑

 

※運動機能や三半規管の重力検知・・・ここは誰?私はどこ?wwwwwwww

 

 

追記:これを読んで下さった方は、次に以下も忘れていたら、もう一度、読んでくれると私の伝えたいことを理解してくれるでしょう。

sandlotbase.hateblo.jp

sandlotbase.hateblo.jp

我々は、法律の勉強なんて特にですが、ツリー分類しますね。ツリーと言うのも、ある種、樹状構造で、フラクタルそのものです。要するに、極論すれば、神経系の投影として学問のツリーだってあるのだろう。大脳新皮質がネットワーク状の薄い層なので、そこに投影された像として、世界は我々の脳裏にある。やっぱりこれこそ、ホログラフィー宇宙論だとかフラクタル宇宙論の正体だろう。我々のこの認識の狭間を超えるものは、神に拠らず幾らでも考え得ると思いませんか?

 

※認識の0.5秒の壁を超えて、いでよ究極の給湯器!!!我々のこの愚鈍さは・・・粒子と波の両義性で一生を終えるこの虫けらっぷりは・・・いつか解消されるのだろうか?

 

追記(3):すべての神経がミラーニューロン的であるとしたら説明がつきそうなのだ。抽象レベルのミラーニューロンとして、音声送信が慢性化した後に、コラム反人格的な機能的凝集が起きても不思議ではない。脳内ではサイエンス・ゼロの動画など見ていると、機能モデュール間でリプレイが度々行われている(ちょうどやまびこの様に?)。そうであるのなら、副交感神経のセロトニン優位モードは、思考のネガである様な日常のあらゆる系統の負荷に対する復調信号である可能性が高い。これが創造の補完的機能を果たしている。これはイメージが浮かぶとも限らない。まったくステルス的な思考かもしれない。(2016/10/07/2:25)

 

追記(4):正反合ならポジティヴ・ネガティヴ・マグネティヴになるはずだ。どうして逆なのか?武道だからだろうか。武道は相手の力を利用する。ネガティヴなプレッシャーを相手に与え、態勢を立て直そうとするホメオスタシスの動き、ポジティヴな力が返ってくるのを利用して、投げ技を決めるなどのマジックが起こる。そこでマグネティヴ。磁力のように不思議だ程度の意味でしょうな。

弁証法も、ストレスとストレッサーだとか、何かに対するホメオスタシスの働きだとか、カオス発振など、系の時間発展としてジンテーゼを考えるとどうかな、とか妄想していたのが、前のブログですね。結局、認識の世界に外界の雛形を作るとはどういうことなのか、どういう欠点があるのか、と言う問題になった。我々はどうしてこの思考形式が好きなのか?つまりあるテーゼに対して、情動アクセルをふかしてミラー将棋をするから、みたいな結論になった。「花は我」とか脳の処理系の場所が気になりだした(笑)。そして一元的な神の法則の存在を否定して、決定論との決別に至った。また、美術用解剖模型でなく、医療人体モデル購入秒読み段階になりかけた(金が無くて諦めた)。

 

 追記(5)”宇宙の絶対性が、思考の有限性を保証する関係”と言うのは、分かりにくいですが、そのおかげで思考を見通せる、思考の区切りとしての粒子、すなわち実身仮身を扱って物を考えることが出来る・・・と言うこと自体を宇宙の土台が支えている、と言いたかっただけです。思考の継続が宇宙の絶対性だった。思考の継続が逆に有限の粒子的ストーリーを自覚させると言うのです。ちょっと間を削除して補筆し忘れたのでしょう(笑)。2017/04/01