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のんびりPC(第2幕)

真実は自分だけが知っている

嘘で塗り固められた米系学派との戦い3

私の中脳付近に松沢大樹先生言うところの統合失調症特有の傷があるからかは知らないが、私は、特に悩むこともなく死と隣りあわせで野次を飛ばしながらブログを書いて来た。

 

そこで、この状況が一変して、明日から晴れて無罪放免、統合失調症も治療必要なし、の引導(仏門でなく)が公には渡される見込みもないので、必要なことー頭にくるこの社会の特徴ー引いては家族の悪事ーなどを書いて、X-dayに備えないとならないと思う。

 

左翼や東京のカルトに囲まれていると何が起こるか、私は後世に伝えて死なないとならない。すべてのM7星人の為に(私は日本国籍所有者であってスンダランドの末裔と言う以上のアイデンティティーは無い。今は天神降臨の神話を求めて東南アジアの伝承をたどる必要に迫られている気分。皇国の臣民と言う自覚はまだ無い)。

 

まずもって、私が物心ついた頃、それは両親が子供の私が記憶意識を取り戻してホッとしている映像から始まっている。頭を打ったらしいのだが、そのすぐ後、どうやら安心したのか私の意識回復を確認した両親が二人で寸劇を始めた。内容としては、山林でお前の本当の父親を殺してやった、とか、韓国人を馬鹿にする日本人は許さない、だとか二人で言い合いながら、私を怯えさせたりした。隣の部屋を行き来しながら、ものの数分程度のことである。

 

またあるときの記憶では、父親が暴走して母親が怯えてしまっている。父親は、弁証法ギリシア論理学を伝えようとしたのか、その冗談なのか、あることないことどん、しか言わない。たぶん、弁証法三段論法はくだらない程度のことしか言っていなかったと思う。これも数分程度のことである。

 

そして、何につけても、いぶかしがってイライラしている私を見ると、薬飲まそうか?と言っている映像が浮かぶ。幼少期には、2,3度聞いた言葉だ。確か親戚の為のおとそを飲んで見た時も、薬のまそうか?と言っていたので、私は、この年になるまで拉致を疑って育った。

 

たったそれだけのことであるが、前に書いた、カクレソウレン、などのワードが交えられたり、怒ると包丁の背が背中に飛んで来てぶつかったこともあったので、本当に親にビビッていた。

 

そうは言っても、夜寝ているとあばら家なので、勝手に玄関の戸を開ける音がして、怖くて眼をつぶっていると、板張りの床がのしのし言う。そして障子をあける音までした。両親は両脇に寝ている。後々、滝汗の後に、こっそり眼を開くと、本当に障子が開いていて、凍りつく。玄関の扉はその時点では閉まっているか分からないが、その寝ている部屋への障子は、閉めて寝たはずだった。すると、親がトイレに立って、何も異常が無かったことを確認し、玄関もしまっていると確認できた。

 

(そんな具合だから、かなり成長しても、夜中に布団から手を出したことが無かった。常にエジプトのミイラのように、手を胸の前に乗せて首を守って寝る習慣がついた。こうしないと落ち着いて眠れないくらい、寝ている間に襲われることを怯えて育った。しかし、これは包丁事件の前かな。)

 

こう言う風に拉致かもしれないのに運命共同体という状況で私は成長したのだ。

 

(これは後に関西人に、お釜だからおっぱいを意識しているのだろうと言われて困った。)

 

東京に引っ越してくる前には、私はもう、6歳だと思っていた。しかし、母がまだ5歳よ、と言ったので、また、私はイライラしながら従ったのを覚えている。いつか抜け出して、真実を確かめなくちゃ殺される、と思ったものだ。

 

(でも、間違いかどうかは分からない。東京に越してきても成長ホルモンで子供のままで大人になった黒人ダンサーの映像がテレビで話題だったので。そう言うのあるのかと思いかかったのだ。)

 

前に蟻を食べただの何だの書いたが、思い出すとそれ以前、人から聞いた記憶を本当の記憶と取り違えたのか定かでないが、私の身長より大きな犬に怯えた記憶も断片的にある。伝え聞くところによると、私はその犬の背中に乗ったりしたと言う。

 

(だから私は縄文人の血を引いているから犬が好きなのではなく、幼少期に熊でも見たようなつもりで犬を眺めていたのだ。)

 

成長してから犬を飼ったことがあるが、犬がこれ程までに馬鹿だと知った今となっては、家族の柱であった時期もある女性と言う存在も、犬と同じく馬鹿に成り下がって私の前から去ってくれると良いなぁ:笑(字義通りのことを言っていてマゾヒストなど見たくも無い)。

 

ーつづく(気が向いたとき)ー

 

 ※現在はなるべく親を助けているのです。運命共同体だしかわいそうだから。また、自分で働く以上の飯が喰えるから。他に東京ですることはありません。

 

追記1:悩みは無いと言っても怒りは遥か24年前には頂点を超え、すでに人間レベルを超え切ってから集団ストーカを受けていたのです。なぜ日本では銃規制があるのか本当に卑怯だと思うレベルです。

 

 追記2:私はホモではありません。しかし、生物としては終わっているので、女性と関わりたくありません。社会的には、まだ、ものを考えたり出来ますが。

 

弁証法じゃなかった三段論法だった。夜中に適当に書いたかしたので、たぶん、適当に間違えて書いた。その昔旅行中に発狂した時も確か三段論法と言っていたはず。しかし、論理学の教科書には、昔から、おそらく近代ドイツからか、下手するとギリシア時代から、概念は表象(イメージ)をともなうと定義してある。それなのに昔の技術で完全に記号だけの述語論理の推論マシンを作ろうとしたとか、何回聞いてもタカリに聞こえる(笑)。一度は誰でも夢見るけど。言語と画像記憶は、2大脳のヘビーウェイトだとしても、文学や芸術的な、表現としての完成度をまったく捨て去れば、その分、まず空いた時間方向に思考力が伸展する。そう言う風な姿勢だと、記号世界と映像世界の両方を十分に探訪できると思う。そう言う意識の人は、実は昔から居たのではないかと思いたくなるのだ。であれば、記号を万能視するのはおかしいと思わなかったのだろうか?当時のメモリー容量などで。砂山のパラドクスの話とか、原子語の話し程度のことじゃないの?もちろん私は門外漢なので何か間違っているでしょうけど(笑)。言語と画像記憶、どちらも発達障害の人とかが得意だったりしますね(笑)。私は、凡人なので、どっちかに絞る気はしないな。念のため。