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のんびりPC(第2幕)

真実は自分だけが知っている

転倒と落下に際しての体調モニタリングの可能性についての考察

圧縮や重ね合わせは価値である。節約も。

 

笑いは落差、と言う時、表しているのは、色価、と言う時の価に相当するのじゃない?

 

表現の係数的なものだよね。転倒によって生じる強度と言うか。

 

バナナを踏んですべる = 一転して地獄

 

と置くと、当然ながら、緊張と弛緩、と言う関係性も記述されなければならない。

 

例えば、語呂合わせ、による面白みは、異種間の接合と同時に、重ね合わせ、圧縮、節約、が実現されているから?

 

(とにかく単なるコンバインではない。個別の文脈における落差、と言うものある。)

 

個別の文脈からの緊張と弛緩?

 

色に例えると何だろう?


急激なグラデーション変化がある?


(つまり、時間分解能が急変するような意識の注意集中を必要とするような文脈の転換。身体的に言えば。)

 


絵画の地と図で言えば、そのような変化は、質の違うマチエールのぶつかり合い、コラージュだ。


別にモンタージュでもいいし。なんと言ってもいいけど。割り込み感がないといけない。

 

じっくりじんわり笑えるものもあるよね。ふつふつと後で笑うような。

 

(今思い出せない。)

 

しかし、手続きが長いとか、曲折して遠回りなんだろうね。

 

・・・芸術は価値の転倒だ、という時、


食べなければ死ぬ → 食べなくとも死なない


にするということであるのなら、確かに転倒だが、これはシンタックス・レベルの対偶とか逆とか裏とかでもないし、セマンティック・レベルでの操作?


別種の命題と言ってもいいのだろうか?よく分からない。

 


PならばQ  

を  

PならばnotQ 

 

にするのなら、排中律であって、あいまいな状態だから。

 


完全にその確定的事態を望むには、転倒の種類について分類し体系化しなければならないと分かる。そこから新たな転倒の意味を見つけ出し、汲み取らねばならない。


これは言語による思考だから、途中プロセスが圧縮されているか省略されて飛躍している。


色で言えば、突然、不協和な色彩が飛び込んできたりするレベル。画家が判断に困った時、周辺の色や、関係ない色をあえてちょっとのせて見る、的なこと。


つまり、価値の転倒と言うのは創造の言い換えに過ぎないので、やはり科学的、あるいは学問的に、発明の手法を検討しなければならないと言うことだ。

 

 

宗教と科学の橋渡しである弁証法ばかりでなく、もちろんく芸術も隠されている。芸術も一般人からは縁遠い。この社会では。芸術もダヴィンチは科学者の原型だと思うので、こうした分野が朝鮮カルトに独占されたりしているのなら、一般人にはそもそも科学に至る道がない。

 

ようやくにしてタケシの番組やDiscoveryのバカ学を見る程度だろう(バカ学については、赤い椅子を作った後に知りました。回転革命と言う誰かの冗談?)。


正確に、科学の手法を学んでいる人ってどれくらいいるの?皆、分かったふりで進んでいて、全部教えてもらった人いるのかな?教えてもらうと自分で考える力がつかないから個性解決トラの穴、と言うのは一般私大でも同じだったし。

 

家庭教師でもつけない限り無理?じゃ、詐欺なのか?時間的に一般人は大学卒業ですべて揃うわけが無い。ほんの少しの知識をマスキングされただけで、図書館めぐりの大遅延。受験や就職に間に合うわけが無い。

 

こないだ茨城の図書館が焼けて10万冊消失したよね。ロシアでも何年か前、社会科学系の蔵書が大量に火災にあった記事を覚えている。こう言うことが世の中だ。人類レベルの遺産もあるかもしれないのに。

 


・・・で、もし、食べないでも死なない、方法論が見つかれば、それは世界が熱力学的に状態遷移した、もしくは一部でエントロピーが増大した、ことになるので、系の時間発展であり、すでに転倒ではない。

 

転倒と言うのは、文字記号の世界においてのみ、とか限局的にそう見えるだけのことでしょう?


狭い!!!

 

と言うのは私がよく言われるので逆に冗談ですが、しかし、異種のものが接合されるのは、場合によってカオス発振的です。ある冗談とエロ画像が連結すると、ある冗談に似た言葉を聞くたびにエロ画像の内容がチラつく。と言うのでは、拷問の手法になる。


カルト教団はこれを使うことがあると言える。サイコパスな犯罪者よろしく、犯行現場で冗談を飛ばしているようなもの。いつだったかのハリウッド映画では、犯行に及ぶ時モーツアルトを聴くか歌うかする人物が出てきたよね。


モーツアルトでは、血を抜くので腑抜けていて、人殺しにはバッハの音楽だと思うんだけどね。


まぁ、そう言う事情で、その連結する事実の一角がトラウマやPTSDである様な時、それは恐ろしい苦痛だろう。

 

こうなると、複数の循環の合流において、重ねあわせ的な新たな単位の発生。文化的な進化の現場に遭遇しているのかも知れない。価値の相対化、と言えばよいのか。陳腐化といえばよいのか。嘲笑的事態。


これも文明を加速させるのは確かです。殺戮的だけど。ストレスが神経を分化させるごとくに、文化も複雑化し、重層化します。支配層が宇宙人化する。私は支配層とは関係ないが(笑)。

 

すると、整理すれば、コントラストってなんだろう?価値の発生をもたらす落差の単純ペアのことだろうけど。明調と暗調があって、高低差だ。音楽など全体でも長調短調になっている。


現在のところでは、自己確認に相当するのではないかと考えています。主客分離?定着を引っぺがされる高低さ?


自己確認の反復曲線が、自我意識のドラマであり、弁証法で言えば、螺旋的発展になるのではないかと。


周囲の環境中のノイズを記述すれば、それは切り取る間隔によって、螺旋よりも五線譜のような平行線上が良いでしょう・・・言語と音楽の共通性も指摘されています。起承転結的な循環や時間発展があるのだろうか?

 

 あるいは交感神経、副交感神経との対応?複数のシステムのカップリングだとかフォーメイションとその類型?

 

 

 今考えていることの内容のうち、ほとんどすべての単語は、以下のリンクの時期までに循環しているんですよ。今にして、このように合流してきたのであって、個別には何度か、すでに結論めいたものを出している。あるいは背景トークで拾っている(笑)。

sandlotbase.hateblo.jp

ひとりはゆっくりですな。本当に。それだけは困ったもんだ。

 

まぁ、熱力学的な思考の構造化、もしくは共時性とか言いたくなるような、量子次元以上の何かで一人だけでも進展していくのが、また、証明できました。決して同じことばかり言うのが統合失調症じゃないでしょう?

 

 

 ※バナナの話が外国の古い学説なのは知っていますが、内容はすっかり忘れてかする程度の話を平気で垂れている毎度毎度の勢いです。