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のんびりPC(第2幕)

真実は自分だけが知っている

転倒と落下に際しての体調モニタリングの可能性についての考察2

ちゃんと締めてなかったような気がするので。

 

だから美術館に便器を置くなんてことを認めるのは、統合失調症的な、他人への嫌がらせだとか、敵勢力の芸術家を貶める為の枠じゃないかと思わせるよね。

 

そうでなければ、ダダとかパンクなんだろう。短絡過ぎて、何も面白くないよね。何も昇華されていない物体なんて。江戸便器が綺麗な絵付けをしてあって、外国人が花活け用の花瓶に骨董として買っていくので、それへの嫌味じゃないかなぁ?一つのジャンルになっていてコレクターが居るのじゃないか?

 

そうでなければ、真面目に作る奴がそろそろうっとおしい向きが、作る気なくさせる破壊工作をしたいんじゃないかな?

 

芸術破壊運動につながる特別枠かなぁ?とも思う。

 

違ったらすまない。何しろ興味ないもので。

 

それで圧縮、重ね合わせ、節約などが価値あるとして、日本人は畳の暮らしをするよ。今する人はどれだけなのか知らないけど。武道をたしなめば、スクワット力があるので、絶対にする。足の筋が蹴りで駄目になったっぽい、なんて言えば、正座をしてたたんだ状態で癖をつけて治したりする。我々は。

 

そう言うことだから。日本人の暮らしは、背の低い天井で、普通より低い位置にすべて揃っていた。歴史時代は。

 

これは下半身が地面にめり込んでいる。つまり、重ねあわせだ。圧縮的な節約の価値がある。同じ空間で様々なことを満たせば、もう、こうなるしかないし。つまり、アメリカ人から見れば、ゾンビだ。

 

日本人は、今、アメリカの一部を騒がせているゾンビだったのだろうか?

 

違うと思うけど(笑)。

 

まぁ、これも転倒の一種ということで。瞑想するのに良いですよ。自己確認の反復曲線的に(笑)。