のんびりPC(第2幕)

真実は自分だけが知っている

漢字についてのメモ1

和歌と漢詩を合わせて書いた巻物は、地中海世界の多言語の石版のようだとか。

 

実は、大昔にイタリアで関西人に言われた。

 

その伝でいくと、歴史的な外圧がかかる度に文字種が増えている日本語は、まるで翻訳者の頭の中のようだ。・・・と厨房の頃、周りで言っていた人が居たのをさっき思い出した。

 

(カタカナひらがな漢字と来たらダブルデッカーどころじゃない!!!後で漢字から創ったのがひらがなでしょ。)

 

本来、文字デザインは、東南アジアか朝鮮半島のように統一されているものだろう。神の箱庭ならそうであるべきだ。そうじゃないから、外国のことを真似したくなる。ここに皮の表側にひっぱられて精神が引き裂かれそうな理由を見つけるのは行き過ぎか?

 

まぁ、カタカナなんて、ゴリラっぽいのは全部これでひとまず書こう、みたいな2分法だ。

 

(これではいけないね。)

 

翻訳者みたいな言語使ってるのに、一神教で、肉体労働しかないとか言われたら、仮にでも小説家が親族に居るのなら、だんだん社会が嫌いになるのが普通。

 

やっぱりアカヒがおかしいか、精神医療が中国人を殺す為にアメリカ人が開発したものだからじゃないかと思いたくなるね。

 

※1853年にペリーが来て、1900年に小学校令施行規則で現代のカタカナが採用。うーむ。岸田秀説の言う内的自己と外的自己に分裂した頃すでに学問的な記述文字であった可能性が高いが、一概に結び付けられない?単なる皮の表と裏的には、一時的に、漢字シャットアウト!とかありだと思うけど。カルトに粘着されて引き裂かれるよりは(笑)。