のんびりPC(第2幕)

真実は自分だけが知っている

実際は狩猟採集民?

どうも。昨晩は、寝しなに、頭皮が引っ張られる感じがしました。くくっとね。1分かそこら。5分も無かったと思うが覚えていない。普段は抵抗して首を振ったりしますが、昨晩は疲れていたので引っ張られるに任せました。

 

南浦和のアパートで台所に近づくと必ずこめかみが低周波治療器みたいにピクピクした時と同じかもね。それに近いが頭部上面全体だ。テストステロンで剥げかけているのかと思っていたら、案の定、翌朝、今は朝日の中で目がチカチカする。これ数日続けると頭痛とか怒りっぽくなったりとか、精神病気質みたいになります。まぁ、メラトニン飲んで寝るよ。

 

下図は、たぶん2007年の暮れとか。2008年とか。アパートでアメリカ人について考えているうちに描いたもの。

f:id:DDLegend:20170310082311j:plain

身体比率が違うと、まぁ、心理距離近いよね。何て言えばいいのかな?プロ・スキーヤー三浦雄一郎とか、戦闘メカ・ザブングル串田アキラとかも一見こんな感じだが、あちらは軍隊に協力要請したり米軍の酒場で歌ったりしてるんでしょ?おそらく白人の派閥なのだろうが・・・もうちょっとごっついかな?

 

まぁ、エスキモー。エスキモーが”おしくらまんじゅう”するイメージだ。

モンゴロイドの一部は、まるで北朝鮮のニュース・キャスターのように、緊縮文化で、タントンタントン語気を強めるものだが、日本もかつて一時期は、結構、似ていたただろうね。おそらく。

 

これを東京はとにかく破壊したいのだね。若者も小顔で痩身と言うのが結構多いし。ノリだって音楽的だ。例えばこちらが、”大丈夫だよ、バ~カ”と言う時、奴らは、”だいじょうぶッチュよ~”くらい周期速度が違う感じだ。より多民族国家的に演出したくて、また、そう言う構成の体格に推移させたいのか、結構、駄目なチビに容赦ない。

 

前にも言ったが、言語などにおいて左右脳の使い分けが明確な傾向があるといわれる日本人に対して、英語圏などの人は言語など、脳の使い方が少し入り組んでいるかも知れない。そう言う音楽性。音楽的なノリのいい会話、小気味良いテンポで伝統文化のノリを破壊するのが東京のカルト教団の骨頂でもある。奴らといると価値観ジャックとも呼べるほど、伝統的な物腰に定位できなくなる。

 

そしてチビがまじまじ相手を見るのをブロッキングして散らす。とにかくじっくり定位できなくして、逆にこちらがストーカまがいになりかねない程、孤立感に苛まれたりしたものだ。まぁ自分が若い頃の話。

 

だから、家庭がそんなノリで、それを知っている東京の奴は、逆に小顔の集団で音楽的に散らす、この両極端なゆさぶりで、思春期、青年期は、親戚に小説家がいても日本文化に定着できなくなった。小・中の頃は、頭がでかいと罵られて、『ラビリンス魔法の迷宮』に出てくるゴブリンだったか赤鬼の心境になってしまった時期があった。Huge head!!!だかホグワット?だか言われてどっちつかずに判断停止して呻いているシーンあるでしょ。赤鬼さんが。認知的不協和気味と言うか。

 

まぁ、この年齢になるとさすがに日本文化の欠点も見えてきたが、しかし、それで伸張文化の研究として若い頃は東南アジアのボクサーの動きを追及していたら、だんだん余計に嫌われ始めたんだな(笑)。

 

確かに、赤いモンゴロイドの代表的アクターとしてブルースリー周りなど追いかけていると、youtube動画など、白人レスラーがサミーリーにアスキック!とか言っていたりするのを聴いたような気がする身としては(英語耳に自信がないね)、それじゃぁ何か、全部、丹田の極意はケツか?テバサキ国の爆縮文化だとでも言うのか?みたいになって切れそうです(笑)。魚食うぞ!魚!もう魚しかねぇ!!!

 

鯨もイルカも喰ってやる!!!

 

だいたいがサーカス。サーカスの綱渡りは、ケツ締めるのにいいよね(笑)。ボルダリングするなら、足は平均台とか綱渡りでしょう!!!

 

ミヒャエル・エンデの『サーカス物語』みたいな世界観って、ケツ掘りそうな低階層のケツ締め体操クラブかなぁ?みたいな(笑)。画家バルテュスはそう言う意味で、昔のサーカス団みたいで、まるでケツ野郎好みな世界観なので大嫌いです。ああ言う貴族的な画家が東洋の書道を褒めたからって、皆さん、いつまでも漢字奴隷じゃいけませんよ(真顔)!!!テリー伊藤みたいに狩猟民族にならないと!!!

 

 ※まぁ、中国的に見たら、京劇では酒に酔って真っ赤になりそうなメイクでもした女形がいるわけですから。そして60年代には、中国共産党が京劇の役者をフランス外交官と結婚させて西側の情報スパイをさせていた。そう言う事情で、自然と、歴史的には、大陸では酒に酔うのがゴミ蜘蛛的に消されてきたと考えてしまうね。つまり、人生の節目に関西人が時々現れるのでさえ、いよいよ京都弁にもなってくると、日本の方言とは言え、アカの消すぞという冗談かとさえ思えてくるから不思議だ。いや、考え過ぎでないと良いけど。