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のんびりPC(第2幕)

真実は自分だけが知っている

幻ビーカー論4

粒子と波の同時存在は、また、我々の図と地の知覚交替における時間経過、すなわち時間発展における動態的表現を意味してもいると思われる。

 

細かいレベルでは、脳の神経細胞内において量子エンタングルメント的に共時性が起こっているのかも知れない。

 

また比較的大きくは、我々自身の眼球運動のフォーカシングのログでもあり、生物個体としての目的志向性を意味しているのだろう。

 

両眼視差という”回転する音楽の大地”において平滑性を示すベアリング球は、どのような統計的振る舞いをするのだろうか?視覚世界で同時存在としてあっても、自我意識に捨象され、より音楽的な世界に近づけば、それは一つの粒子性を持ったストーリーである。

 

しかし、我々の思考と言う循環の民主主義においては、これもやはりエンドレスな波であって、生命活動の証そのものである。

 

トーリーもまた一つの傾斜であって、波間の一つに過ぎないのだ。時に音楽でさえも美術におけるデッサンの空間性の様にして段階的変化を基調とすることを知りつつある私としては、思考における粒子性、すなわちストーリーについても、すべて傾斜に還元できると考えたい。

 

※”回転する音楽の大地”はあの気持ち悪い映画ストリート・オブ・クロコダイルでヤナーチェクのセリフとして出てきたのを勝手に。

 

 ※一番最初の”幻ビーカー論”について”宇宙の絶対性が、思考の有限性を保証する関係”が説明不足で放棄されていたので少しだけ末尾にオレンジ色で補足。

幻ビーカー論 - のんびりPC(第2幕)