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のんびりPC(第2幕)

真実は自分だけが知っている

ダブルモード人生

日本語はバイモード。ダブルモード。

(オーバレイとか言うと床敷きみたいなのでどう呼んでいいか分かりません。)

 

漢字を書いていても、大和言葉を中心に話している。

 

ところが、近代以降、カタカナ語が出てきたので、カタカナ語に精通している人が、支配階層になった。

 

と言うわけで、漢語、平仮名語、両者合わせて昨今は漢字奴隷にグループ化されるのでしょうか?

 

一般に文化は、高度化するとすべてダブル・モード的になっていくのでしょう。

 

土佐日記紀貫之とか言う”男もすなる日記と言うものを私もせんとてするなり・・・”とした人の場合を考えると、そう言う文化的二重モードへのこだわりがネカマ風の冗談を生んだのだろうと容易に推察される。)

 

”王”と言う字は、天上を表す漢数字の”一”と、降臨を意味する?太陽旋転文様風の漢数字の”十”とが、大地を表す漢数字の”一”に上下に合体して”王”になっただとか、白川静的な呪術的ストーリとか(真面目に読んだこと無い)。また、他にも宗教的側面からその造形的特質まで融合的に説いている石川九揚的なものまである。

 

まぁ、しかし、西洋美術を本格的に学んでみると、絵画は、すべて平面の張力と視野の拡がりの妥協点や融合点でせめぎ合ってデザインが決定されるもので、そう言う図と地のアグリゲイトを作る遊びだ。(つまりその時点ですでにダブル・モード視)

 

そう言う現代人の眼から見た造形性や脳の認識の話は、一般人はあんまり知らないものだね。せいぜい、漢字の宗教的ストーリなどを思う程度である。あるいは、ちょっと器用な人なら、江戸版画の正統的な後継で日本文化の真髄こそ漫画文化なのだ!とそっち方面に深く沈潜しているかも知れない。

 

はたまた、漫画は芸術だ!とか主張する通称ガラスちゃんと言う青年が出てくるハリウッド映画の人物的かも知れないし、ここは菅原道真の時代からある”かずけもの”にも習って所謂”ダッシュ勝平”的事情にまで成り下がっているかも知れない。

 

(イカ娘と言うのはよく知りませんが南米のイカ谷のように伝説的なのでしょうか?)

 

もうちょっと哲学や現代美術など好きなら、絵画もそれ一枚で記号なのです、などと吹きまわって更に漢字奴隷的な混迷の度合いを深める一助となるべく、美術講師に金を貢いでは、気勢を張っている小物かも知れない。

(いっそメーヴェにでも乗ってどっか行っちまえ!!!)

 

もう、私のブログでは、そう言うのはイメージの貧弱な左脳的思考でも容易な場合があると指摘しているし、宗教性やストーリと言えば、造形的特徴とは直接関係のない文学的要素だと定義できると思う。

 

 

まぁ、かように日本文化は二重性を弄ぶのです。そして、ここからが本題ですが、だから、そう言う私にとって、西鋭夫説がもし本当なら、国民国家という概念自体がヨーロッパ人の発明である以上、そしてその指南役がお抱え外国人やエリートの留学を手配した(もしかしたら)宣教師などである限り、当然これは、ネタが割れていることをあえてしたのだから、何かすれば、あちらの分析の対象として次はこれが来るだろうとか、これをするなら戦争の意図があるだろうだとか、戦略の俎上に乗っている事になるんじゃないかなぁ、と思える。

 

(少なくとも得体の知れない異民族を世界経済の中に組み入れる為に当初もそれくらいの構築物は必要だっただろう。)

 

まぁ、政治も何かダブルモードがあるだろうな、と言うのが、少し過激な日本人の精神病患者の私の意見です。もちろん、そんなことは公にし過ぎると、国際的な協力体制にヒビが入りそうで、ごくごく控えめに主張するのですがね。

 

はて、物質転送だ、テレポートだ、言ってるなら、通常の核戦力以外にも戦いの世界があったって不思議ではない。何しろレーガン政権時代のスターウォーズ計画あたりから、私は軍事に疎くなってしまっているので。

 

そこでともかくもバイ・モードで私達は世界平和を祈るのでしょうか?

(私を一方的な悪にするのはやめなさい。)