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のんびりPC(第2幕)

真実は自分だけが知っている

幻惑ビーカー星1

まず、中心性の放棄として、前野隆司の言うよくある前世紀的な言説の誤謬、『意識の天動説』を回避することを条件に、右脳パン君がその場の空気に同調して集団の暗黙知に同期するような感じの、そこで多少の量子エンタングルメント的な共時性が流れ込むのか流れ込まないのか、と言う感じの世界が、循環の民主主義を四捨五入した後の”個物と類型”における人間のモデル像と、人は文学的に(あるいはフロイトユング風に)常日ごろ妄想しやすいものだ。そんな程度が青年時代の日々の素朴な感慨に近い。

 

そもそも門外漢である私が、よく知らない自然科学の素粒子モデルである粒子と波の両義性を意志のある生物やその集合にそのまま例えようとするのは、文章の上ばかりでなく不都合があるかとも思う。しかし、神経系の働き、認識自体が、明滅信号に錯乱する、認知的不協和に弱い、など考えると、また、観察者の立場が観察対象に影響しないわけが無い、などの条件を考え直すと、見るという行為自体の共時性の錯覚の根本原因がここにあるのか?ともなって来ないとも限らない。なぜならそこでは時間分解能や分節の単位で変貌を余儀なくされる何かがあるから(”蜘蛛の糸””クモの糸””粒子線”で当ブログを検索されたし)。この場合に神経かく乱が同期したら何とも対応のしようが無い。そう言う場合において特にではあるが私達の認識の処理系も同時存在かな、とか。事象一致的かな、とか。ある時間の区切りにおいて、群化したものを更にまた一つの概念単位としているからこその錯覚なのではないか、とか。そう言う流れで考えた上で、上記、中心性の放棄、つまり、全体を見通せる人、全体を統括できるオペレーティング・システムは無い、などの条件により、個物と類型がその振る舞いにおいて時間経過の中では、時に粒子と波的かと思う。動態的に。長時間露光で群集を撮影したようにして。この場合、もし、今までの思索の一切が、神経の誤動作に起因する錯覚に過ぎない、と言う結論であったにせよ、もしそうなら、粒子と波に例えるのは、むしろ、なおのこと、おしゃれなのである。

 

懸命な方はすぐに気がつかれたと思うが、これは単なるPCのフォルダーとファイルの関係の連続した場合の話そのものである(笑)。だから、よりマルチウィンドウ的である実身仮身に例えるべきことだったのだ。

 

 

 

メモ1

さて私達が光の帯であるとして、その時、非常に重い質量の存在は、不動の岩盤。地下世界である。地下世界ではマグマが渦巻き、時に吹き出しては冷えて固まり鉱床となる。この鉱床を世界の本質、不動の重力世界と認識していると、実はマグマの方こそが、地球ダイナモ、磁力を発生させ回転するマントルコアのフロート、流動する溶けた鉄塊などかも知れない。ここにおいてプラズマが発生し、重力が生じている?

のであれば、ここが世界霊の中心だ。ここにおいて共時性の源が発露するのなら、これはまた壮大稀有で単に集団にあわせながら共時性を取得している程度の話ではなく、存在全てがその方式である。せめてこれと太陽風とのサイクロトロン共鳴などを考えなければならない。

軽く終わってみる日記 - のんびりPC(第2幕)

メモ2

私達が例え論理について煮詰めたところで、それは神経系の作動原理を外へ引っ張り出したものに過ぎない。自然はその様なことばかりでもなく、また、それですべて解ける保証も無い。しかし、私達には、その次元で説明してもらわないと理解しにくいだけである。論理について、概念について、原子語について、クオリアについて煮詰めても、実験ができない門外漢には、よく分かるものでもない。それは思考の根源がすべて量子力学的な作動をするからなのは、だいたい間違いないと思っている。よく調べていないが、すべて根源的に同時存在などの問題に関って、無矛盾性を証明できないのではないか。この世の中では、質料性のようにして、分割不可能な、あるいは同時取得できかねる問題になる。お腹と背中の話のように。物質世界に積み上げていくと、そう言うトレードオフや二律背反で判断停止的な何か。私達が理解する為には、認識の単位を単線的に並べてプロセス化して少しずつ詰め込まないと駄目だ。これは再現性においても、物質と照応させた少しの意味の単位、その少しの時間方向への構築物を世界から、その都度、切り取ることになる。私たちは、そう言うものを栄養源として、またかつ探し新たに得ようとしているに過ぎない。これも何らかの地球上の熱力学機関の働きの一つに過ぎない(笑)。それらのコンバインとして社会が構築されたから、やはり3極子のNo Gravity性が重要なのであろうか。問題は大きさよりもデータ幅であって圧縮容易性だ。

 

f:id:DDLegend:20170508165242j:plain例えばこのようなダゲレオタイプ風の昆虫観察ボックスなどを見繕って、赤と青の適当な周期表現のポケモン効果を実現できるLED点滅ライト、また犯罪事件やポルノ等で使用されていると思しきRUSHなどの違法薬物の効果を知る代わりとして塗料薄め液(環境ホルモン物質との目算で)、適当な明滅に弱そうな虫、を詰め込んでリアルタイム観察したらどうかとは思います。現在動画撮影すると低画質で困っており、また予算により研究は中断しています(笑)。

 

 メモ3

厨房時代の周囲の冗談に拠れば私は、こいつは分裂病にならないと白人の気持ちがわからない、とのことであった。また別の言い方をすれば、白人はある意味で日本人の分裂病患者によく似ている、とのこと。私がその後の人生でそれを再度確認するまでに何を参考にしたかは、例えば月本洋著の適当な本を読まれたし。また、私は無関係だが、DDClinicの内海聡著の本でマインド・シャッフルしてみるのも悪くない。実際かかるかどうかは別だが。私は実際に接見してその医師の左翼嫌い?だか変態嫌い?から来る権威主義風の会話におけるブロッキングと著作中のソマチット支持について困惑したが(遺伝子検査もせずに、私の言う食事療法を寸分たがわず行わないなら来るな、との圧力に驚いたものである)、まぁ、統合失調症発達障害の一種だと言う説が存在すると言うこととある種の発達障害が眉唾だと言う説を両方なんとなく知ることが出来た。そこから、岩崎純一と言う自閉症研究の学者のサイトも参考にする上で非常に興味深かったです。この両者を紹介した上で私が意図するのは、白人は分裂病、つまり統合失調症に似ているか?と言う検証を行う妥当性の確認です。月本洋説において指摘されるイギリス人の左右脳の母音の認識の受け渡しに関係して英語などの主語付け足しが頻繁に起こる冗長性について。それ以外にも他人の論文などから、母音がピッチに関る可能性の指摘を得られたので、それと自らの経験と厨房時代の周囲の会話や書籍などから英語は2音節化の傾向が顕著など(つまりチャンクが小さめ?)、そこで、音楽も、相対音感タイプで、5線譜にメモを取らねばならない冗長性が体系的なクラシック音楽にまで発達した要因ではないか?などと、妄想たくましくすることは真に統合失調症的であろうか?MRIの画像解析からも所謂ドイツ白人は、言語野が発達していると言われている(ブログ・ファーストシーズンで治療上必要と自己判断して勝手に紹介)。これに加えて彫刻の得意そうな長いリーチを持っていることなどから、また歴史的、文化的なメディアへのこだわりの強さを考えても、統合失調症が海馬などの短期記憶がやられてしまう為に、メモ魔になった時、体系化妄想を得るような大進化を遂げることと似ているのだろうか?とよっぽど言いたくなる。そもそも、これは能力の進化ではなく、教育剥奪による、ソフトウェア式発達障害が更新されたため、患者がようやく人類の通常能力を発現し始める時の反動による過大な振れ幅がもたらすことだろうか?これも環世界で、私は統合失調症だから、白人の持つ統合失調症的要素しか見えないのだろうか?等々。

 

 

 

メモ4

ボンドのぼんぼんとセロテープのセロたんは、その末路がglue girl程度であろうか?

日本人は背中が比較的に柔らかい。身体の内でもミゾオチを特に鍛えないと他の人種のように胸を張って歩けない。特に対人恐怖や醜悪恐怖が出た人の場合、胸式呼吸でいじけた傾向が回復しないでそのままウツ病に突入。まずナロー腕立て伏せをして横隔膜を固める工夫をすると、ジャイアント馬場のように歩けるようになる。あんまり格好良くないと思うかもしれないがこれが服を着ると分からない(笑)。また、胸を張るのが本能化すると今度はイギリス式のマナーのようにして厳密に背筋を伸ばして一口ずつ食べないと、年をとって神経遮断薬などを飲んでいると、自我意識の指令を嚥下作用がリアルタイムで追従できないので、喉を詰まらせる頻度が上がる。これを解決するには、白人の女性のイラマチ●や、イタリア人の猫背の男性のように首を前に突き出して、立ち食いピザでもほおばる様にすることである(別にホットドッグでも良い)。これが嫌だとか、これでも時に咳き込むなら、椅子に座りながら片足胡坐でソバを食うような江戸時代の版画絵みたいなことになる。いっそ、畳に正座して喰えやアホ。

 

 

 ※よくかんがえたらごっほっててれぴんちゅうどくせつもあるんですよね(わらい)。からふるないろのえにふぉーかすして、ながときま、揮発油とフレンズ。23:43

 

 

 ※『無矛盾性が証明できない』と言うことが証明されたのが実際だったようです。ゲーデルなんてよく分からないが、この際、どうでもいい。いつか何か調べるだろう。連続体仮説は他の集合論とは独立にどうの書いてある。コーエン以来の革命的なんたらは違うとか。あるいは竹内外史の論文に。どうも不正確な知識をばら撒いて申し訳ないですが、しかし、私たちは、今日、量子力学の技術によって精神病にされている可能性が濃厚なので、これは生命を賭けた戦いだ。許される(と思う)。2017/05/16

 

 要するに訂正の理由は、数論理的に無矛盾性が証明できたのなら、量子力学的に神経の作動から導かれたとは言えないと思ったから。素粒子の振る舞いも確率論としては数字になっているが、それって論理学じゃないよなぁ。記号論理学をよく読んでいないのでまだ判断できない。ギリシア論理学ならあの適当な代物が?とか思わないでもないんだけど(笑)。2017/05/16/9:48