のんびりPC(第2幕)

真実は自分だけが知っている

銃社会のぶりっ子(後略)

最近も野次は飛びますが、音量は小さい。幻聴も微か。しかし、この10年近く同じ声。白人風の、混血風の、女の声。最初、創価学会かと思っていたが。よく分からない。赤白い台湾人かどこか風の人の幻聴は無くなったね。いやぁ、たまたまひっぱらて行ったイタリアで25年位前にすでに、女の幻聴を聴かせてやると関西人に宣告されていたからね。そう言う技術があるだけだね。

 

色々なふりをするようだ。つまり、もし街頭で何か誰かと衝突すれば、幻聴で後一押し刺激すれば、それがロシアだと言えば、ロシア人に、アメリカ人だと言えばアメリカ人に、激突する呪いをかけられているようなもので、基本、錯乱を装った脳疲労によるヒキガエル程度の判断能力で誰かをブッコロス的な事態を演出しようと目論んでいるとしか思えない。

 

そこで、いくら10年近く聴こえるとは言え、どうして白人の女の声が嫌なのか考えて見ました。

 

狭い、と言ってくる白い女も、顎を突き上げて侮蔑するイタリアの茶色いのも、共通しているのは、ぶりっ子、と言うことじゃないかと。

 

私の育った年代の文化で類推して表現すると、銃社会のぶりっ子、だから。

 

ロシアなど一時期は、音楽も、最近の欧米風の音でありながら、全力で70年代みたいなノリの熱唱ぶりが驚きを誘ったし、イタリア等も、結局、総本山で宗教全体主義が残っているのなら、これこそは、ぶりっ子の差別だから、全力で侮蔑してくるのだな、と言う結論です。

 

我々日本人は、文化もキャッチアップ・モデル的だったので、全力で何かするとどこか馬鹿にされる風潮があります。そこで、ぶりっ子、と言うものをとにかく冷淡に眺めるものだけど、あっちの人は、どうもそれがないんだね。

 

幻聴の声も、近辺の声も、ぶりっ子過ぎてぶん殴りたくなるのを抑えている苦しみですね。これは。もちろん、それ以上に、幻聴で四六時中思考を邪魔されるのもあるけど。まぁ、音量が下がってもこれだけムカつくのは、もう、そう言うことだ。

 

昔、木村カエラだったかが顔がぶっ飛ぶようなチョコレートの宣伝がなかったかな。あんな感じの気分なんだが、カエラ風じゃないよな。もっと白いのだ。普通はいいと思われがちだが、デブ過ぎてアジア人の横にいないタイプだ。

 

所沢にも居るかも知れないね。いや、新宿駅で見たかな。

 

女にはあんまり手を上げないなぁ。

(少なくとも寝るぐらいしていないと触れもしない。)

 

サッカーボールで顔ぶっ飛ばす練習すればよかったなぁ。

 

中国の良い子ばかりじゃないんだよね。迷惑すぎるの。銃社会のぶりっ子が一番困っているんだよね。変態が嫌いなのは尊重するが、いつまでも言うのなら、戦争させろ。

 

 

 ※タイトルがよく考えたら、やっぱり酷いダブル・ミーニングだったので、止めました。2017/05/17