のんびりPC(第2幕)

真実は自分だけが知っている

バイ・モードと逆さマトリョーシカと

ケネディー暗殺事件はコペンハーゲン解釈か?測定器が原因で弾数が収束しないのだろうか?

 

どうやら文化・文明は高度化するとバイ・モード、ダブル・モードになるようだ。

 

例えば、”福祉国家の逆機能”、と言うと新自由主義の理論的背景でもあります。つまり大きな政府では社会保障費が逼迫するだとか、企業などの活動を規制して変化に即応する機動性にかけるだの色々あるんでしょう。

 

こうなると平和憲法の逆機能、民主主義国家の逆機能、も当然まとめられるべきだ。

(もうあるのかな?)

 

民主主義国家であることと軍事国家であることは矛盾しない、と言われている。

 

ならば、制御の効かない突出した個人を抑止する為に軍事が民主主義を制圧する局面。民主主義の逆機能があってもおかしくない。ここにあらゆる体制の行き着く末としての逆機能状態もしくはバイ・モード化、ダブル・モード化の姿を見る?

 

つまりケネディー事件はその証拠にならないか?いつまでも映画でしか語れなかったりもしたことが、なおのこと都市伝説を呼んだ。

 

ここから、人類文明のバイ・モード史をまとめる方向で、精神医療の欺瞞性を新たに編集しなおす必要があるでしょうね(真顔)。

 

あるいは新たな±階層出現の局面としての、選別的な逆機能フレーム包囲(逆さマトリョーシカ)。あるいは、その慢性化による腐敗国家化。ミスターポップを気取って、逆徒を煽り、バイやゲイを奨励し、社会を恨み過激思想に走る輩を持て囃す。

 

左翼もねぇ。赤や青に変わる巨大な蟲では、毒をもつタコ、あるいは爬虫類脳などにおける暴力と性愛のコミュニケーションを外部に露呈した格好です。事前と事後しかないのが崇高です?

 

我々は、全にして云々、個にして云たら、だけでなく、松本零士の”永遠の命”係数を乗算して動態にしなくちゃ駄目じゃないかなぁ?それが”大解消”的ななな。ブリュッ(フランス風)。

 

認知的不協和をも駆使した統治の姿としては、必ずしも腐敗国家化とは言い切れないだろうか?